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年齢詐称疑惑のある新人、AD・柴田。彼が隠し持つ、ドラエモンの四次元空間ポケットなみの豊富なウンチクからスポーツネタをお届けします。夢は万馬券!!
2009/02/18

アメリカンフットボールのお話 その3〜アメフトのその後〜

前回は、戦前の日本とアメフトの関係についてご紹介してきました。今週は戦中のアメフトについてご紹介します。

アメリカとの戦争中。アメフトは「敵国のスポーツ」として、行うことを禁じられていました。もちろん、外来語も使えなかったため、「アメリカンフットボール」なんて言葉も使えませんでした。ベースボールは「野球」、テニスは「庭球」、バスケットは「籠球」というように、日本名があります。いつ頃から言うようになったかは良く知りませんが、アメフトは、この時代に、日本名が生まれました。

その名も「鎧球」。「ガイキュウ」と読みます。まぁ防具をつけているのですから何となくわかる気がします。

しかし、最初にアメフトを日本に広めたポールラッシュさんは、戦争の危険を感じてか、アメリカに帰国。一生懸命報道してくれた朝日新聞も言論統制の中、おもうような広報活動ができません。その上、学徒出陣による若者の出兵で、プレイヤーもいません。さらには、物資の不足で、満足に道具も揃えることができませんでした。こんな状況では、アメフトどころではありません。生きて行くのが精一杯です。そんな
アメフトが禁じられていた時代でも、大学を中心になんとか2試合行われました。

戦後をむかえた日本は、復興に向けて働かなくてはいけませんでした。またしても、アメフトどころではありません。その上、テレビという新しいメディアにも乗り遅れてしまいます。アメフトは、どんどんマイナースポーツになってしまったのです。

アメフトが再び行われるようになったのが1960年代。大学からでした。最初に注目を集めたのが日本大学と関西学院大学。この2校は甲子園ボウル(大学No.1を決める戦い)で、毎年激戦を繰り広げてきました。最近では、立命館大学や法政大学といった所も強豪になり、毎年熱い戦いが行われています。

しかし、まだまだ、日本ではアメフトは浸透していません。専用グラウンドも、数えるほどしかなく、環境面でも遅れています。以前も書きましたが、日本人はアメリカのスポーツにうまく適合できると思うのです。アメフトもいずれ人気が出ることを期待したいです。戦前から行われていた数少ない外来のスポーツですから。

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