Nagoya Talents' Network - タレコラ

AD・柴田 RSS Feed

水曜日

AD・柴田

年齢詐称疑惑のある新人、AD・柴田。彼が隠し持つ、ドラエモンの四次元空間ポケットなみの豊富なウンチクからスポーツネタをお届けします。夢は万馬券!!
2009/02/11

アメリカンフットボールのお話 その2〜日本はアメフト先進国?〜

先週は日本で開催されるアメリカンフットボールのNO1決定戦のお話をしました。今回はその続きです。

日本にアメフトの試合が始まったのは昭和9年。なぜ戦争の色が濃くなってゆく時機に、敵国のスポーツであるアメリカンフットボールの試合ができたのでしょう。そのわけは、大きくまとめると2つあります。

先週お話ししたように、戦前は新聞などのメディアでアメリカンフットボールの記事が、度々掲載されていました。この事から読者の多くが同スポーツについて知っていたのが1 つ。もう1つは移民です。この時機、いわゆる日系2世と呼ばれる人々が、たくさん日本に帰ってきていました。彼らは、アメリカの文化を肌で感じながら育ちましたから、アメフト経験者・ファンも多くいたのです。

そこに目を付け、「アメリカンフットボールの試合をしよう!」と発起人になったのが、当時立教大学の教授だったポール・ラッシュさん。日系2世の人や、大学でスポーツの得意な人を勧誘し、チームを作っていきました。

しかし、問題はいっぱいです。1番は道具。今でもアメフトの道具は全部揃えると安く見積もっても10万円はかかります。その当時は日本製の道具などはなく、いろんな職人さんにお願いして、アメリカで作られていた物を真似て作ってもらったのです。次の問題が会場。普通に考えて、この時期の日本 に、敵国のスポーツのために、場所を貸すところがあるとは思えません。

しかし、試合が行われた場所はあろうことか、神宮外苑球技場でした。なぜ、こんなところで試合ができたかというと、政治状況によるところが大きいようです。

この時期は、ちょうど満州事変が一段落した頃。日本政府も対米政策をすこし和らげようとしていたのです。そんな時にちょうど重なったために、試合をすることができたのです。

 広報活動も積極的に行われていました。朝日新聞が中心になり、連日、試合の予告の紙面を出して、人を集めていたようです。

そして・・・。

昭和9年11月29日。

神宮外苑球技場にはたくさんの人が詰めかけました。その中には、当時の秩父宮殿下もご観覧にいらしたそうです。これを期に、アメリカンフットボールは戦前最大の盛り上がりを見せます。朝日新聞は、日本で行われる試合すべてのスタメン、戦力分析、評価等を掲載、試合結果も詳しく伝えました。そんな働きかけもあり、オールスターゲームも行われました。

しかし、好調な状況は長くは続きませんでした。アメリカとの戦争が始まってしまったのです。

この続きは次回にしたいと思います。
バックナンバー>>
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20