2008/02/15
自律神経にケンカを売る男・・・泉拓人(3)
前回コラムで、アーチスト泉こと泉拓人選手の腹腔スペースが他の選手と比べてとりわけ狭いということを説明しました。これは何を意味するでしょう?腹壁が硬くて腹囲・胸囲が細いということは、胃が前後左右に膨らむ余地が少ないということでもあります。となると、食べ物には上下方向への強い圧力がのしかかってきます。勝負のレベルが上がってくればくるほど、泉選手は毎回、この上下方向への津波のような波状攻撃との仁義なき戦いを繰り広げざるを得なくなります。顔面は蒼白、目は充血、額には冷や汗という状況で、握りこぶしに執念とも怨念ともとれる何かをありったけ込めて耐え続けるその姿は、実は医師との駆け引きそのものでもあります。彼は何のために自分をここまで追い込み、私たちに何を見せようとしているのか。それは自分のためなのか、視聴者のためなのか、誰のためでもないのか・・・。
ドクターストップには明瞭な基準がある訳でもなければ、明文化もされていません。単に、医師が「アブナイ」「ヤメサセヨウ」と思った時がドクターストップの瞬間ですが、その判断は決して容易ではありません。なぜ線引きや規則化が困難かというと、泉さんのような「自律神経をねじ伏せる精神力の強さ」は火事場の馬鹿力のようなもので、数値化も予測もできないからです。
ですから私は最近思うのです。強い大食い選手ほど「自分の限界を知っている」そして「自分で線引きが出来る」という資質を備えているのだと。その逆もしかりで、この資質を獲得できなければ、永遠に強くはなれないのだと。大食い番組のロケでは、予選レベルの方が、勝ち気にはやる挙句に無茶食いで危険な目にあうケースが多いのです。マラソンでは、ゴールに入るなり倒れこんで失神するシーンがよく見られますが、大食いでそれをされては、番組の存続にかかわります。
ちなみに、私が泉拓人にドクターストップをかける基準は決めてあります。前述した顔色や冷汗といった自律神経のサイン以上に、目にあきらめの色が浮かんだ瞬間がその時です。何と非医学的な基準かと思われそうですが、彼は目が大変雄弁な人物です。この点では彼は楽天のマー君こと田中将大投手と似ています。闘争モード全開に三振を奪う時の顔と、一発を浴びてベンチを心もとなさげに見る時の顔・・・野村監督が降板を告げる際の判断基準も、私と同じかもしれません。ただしこれは、彼が決してゴールで失神することのない、自分の限界を知っている選手だという絶大な信頼感があればこそのルールであり、他の選手ではこのようにはいきません。
われらがアーチストは、自律神経とケンカしてかなりの確率で勝ってきている・・・そんな人生経験が目に浮かびます。世の人々は、自律神経とケンカしようとは普通思わないでしょう。相手は、人の意思で制御されないからこそ、「自律」神経と命名されたのです。彼を勝負に挑ませるのは、日常生活の中でも、彼の「パンク」な部分ではなく、彼の「常識人」としての部分のように思えます。彼の繊細な生真面目さ、失言も許さぬ慎重さ、そしてその裏に隠れた闘争心でしょうか。彼が「Takt」と呼ばれる理由であり、その彼が「人生はアート」と豪語する由縁もこのあたりにあるのでしょう。
ドクターストップには明瞭な基準がある訳でもなければ、明文化もされていません。単に、医師が「アブナイ」「ヤメサセヨウ」と思った時がドクターストップの瞬間ですが、その判断は決して容易ではありません。なぜ線引きや規則化が困難かというと、泉さんのような「自律神経をねじ伏せる精神力の強さ」は火事場の馬鹿力のようなもので、数値化も予測もできないからです。
ですから私は最近思うのです。強い大食い選手ほど「自分の限界を知っている」そして「自分で線引きが出来る」という資質を備えているのだと。その逆もしかりで、この資質を獲得できなければ、永遠に強くはなれないのだと。大食い番組のロケでは、予選レベルの方が、勝ち気にはやる挙句に無茶食いで危険な目にあうケースが多いのです。マラソンでは、ゴールに入るなり倒れこんで失神するシーンがよく見られますが、大食いでそれをされては、番組の存続にかかわります。
ちなみに、私が泉拓人にドクターストップをかける基準は決めてあります。前述した顔色や冷汗といった自律神経のサイン以上に、目にあきらめの色が浮かんだ瞬間がその時です。何と非医学的な基準かと思われそうですが、彼は目が大変雄弁な人物です。この点では彼は楽天のマー君こと田中将大投手と似ています。闘争モード全開に三振を奪う時の顔と、一発を浴びてベンチを心もとなさげに見る時の顔・・・野村監督が降板を告げる際の判断基準も、私と同じかもしれません。ただしこれは、彼が決してゴールで失神することのない、自分の限界を知っている選手だという絶大な信頼感があればこそのルールであり、他の選手ではこのようにはいきません。
われらがアーチストは、自律神経とケンカしてかなりの確率で勝ってきている・・・そんな人生経験が目に浮かびます。世の人々は、自律神経とケンカしようとは普通思わないでしょう。相手は、人の意思で制御されないからこそ、「自律」神経と命名されたのです。彼を勝負に挑ませるのは、日常生活の中でも、彼の「パンク」な部分ではなく、彼の「常識人」としての部分のように思えます。彼の繊細な生真面目さ、失言も許さぬ慎重さ、そしてその裏に隠れた闘争心でしょうか。彼が「Takt」と呼ばれる理由であり、その彼が「人生はアート」と豪語する由縁もこのあたりにあるのでしょう。





