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金曜日

Dr.片山晴子

高校野球取材や大食い番組等のメディア出演を行う東京大学医学部医学科卒の脳神経外科認定専門医の医学博士。ドイツ在住。
2018/01/12

新春早々「羽生結弦ブーム」を取り上げたニューヨークタイムズ記事とそのキーワード

新年早々、移動中に手にした新聞を開いたら、こんな見出しが目に飛び込んできました。タイトルは『母国からの期待を一身に背負うスレンダーなスケーター』(A slender skater carries the weight of a nation)、写真は4年前のソチ五輪のフリー演技における羽生結弦のイナバウアー姿です↓。

スケートに詳しくない人間がこの写真だけ見たら、一体どういう生き物かと首を捻ったり、紙面を逆さまにしたり裏返したことでしょう(笑)。私が手にしたこの記事は1月8日のニューヨークタイムズ(以下、NYT)の国際版ですが、元々はNYTに1月4日に掲載された記事の再掲だったようで、オンライン版でも全文閲覧が可能です↓(参考サイトA)。

(参考サイトAからのスクリーンショット)

元記事はタイトルが異なり、『史上最高のフィギュアスケーターは氷上のマイケル・ジャクソン、そしてクマのプーさんに囲まれている』(The Greatest Figure Skater Ever Is Michael Jackson on Ice, Surrounded by Winnie the Poohs)となっています。全体として3100字余りというなかなか読み応えのある本文に、日本ではあまり紹介されないインタビューや見かけない論点が展開されています。平昌五輪までいよいよ一ヶ月を切るタイミングでもあり、フィギュアスケートに詳しい方にも詳しくない方にも興味深いだろうと思われるため、その内容を以下に要約して紹介しましょう。(以下、青・赤・ピンク字の内容は全て同記事からの和訳引用で、筆者の見解ではない)

・羽生結弦選手は、昨年10月下旬のロステレコム杯(グランプリシリーズロシア大会)で2位に終わり、さらに11月上旬にはNHK杯の練習中に失敗したジャンプの着地で右足関節を負傷。以降、すべての競技会を欠席しているにもかかわらず五輪日本代表に選出されたが、右足首の怪我からの回復は遅れており、三カ月の休養を経てのぶっつけ本番となる平昌五輪はまさに目前に迫っている。
・冬季五輪のフィギュアスケート男子シングルにおける最後の連覇である1948年と1952年優勝のディック・バトン(アメリカ)以来となる偉業達成を目指している羽生選手だが、ここにきて最大の障害は自身の怪我となっている。
・世界的に見ると、フィギュアスケートは人気凋落の途上にあるスポーツであり、羽生選手はそんな下降線にストップをかけるための稀少なスター的存在である。彼が(五輪に)不在ないし実力発揮が不可能ということにでもなれば、世界における同競技のチケットセールスや関心はますます後退していくだろう。
・2006年トリノ五輪銀メダリストのステファン・ランビエル氏曰く:「羽生選手はフィギュアスケートの歴史上最も完璧なアスリート」。氷上の彼には、毛筆のような自由気ままさと硬筆のような正確無比さがある。
・伊藤みどり氏曰く:「細身の体に長い手足、そして首も長い羽生選手は、その身体的特徴が日本人離れしている」「氷上では猛烈な演技を見せる彼が、演技後のキスアンドクライでクマのプーさんに癒されている。そのギャップに皆がイチコロ」。
・羽生選手を指導するブライアン・オーサー氏曰く:「彼は特に大技を披露しなくても、普通にやれば優勝できる。しかし、それでは彼は満足できない。あえてリスクを取ろうとしている背景には、前回五輪が自分の納得いく演技での優勝ではなかったという思いがある」
・羽生選手の出場する競技会に世界中から集まるファンたちの熱狂、ゾロゾロついてくる日本のテレビ局や雑誌記者にカメラマン等の取材陣、書店に並ぶ羽生選手が表紙の書籍の多いこと!元フィギュアスケーターでNY在住の人気ブロガーであるジャッキー・ウォン氏曰く:「彼の人気は、全盛期のマイケル・ジャクソン並み
・エヴァン・ライザチェック(アメリカ)を2010年バンクーバー五輪金メダルに導いた名コーチのフランク・キャロル氏曰く:「今の彼からは、彼が数年前は持っていたものが感じられない。こんなことを言って申し訳ないが、彼は今も美しい演技をするが、そこにはインスピレーションが見えない
・羽生選手はかつて、ライバルのネイサン・チェン選手(アメリカ)のことをこう評した:「彼は素晴らしいジャンプとバレエ仕込みの表現力を併せ持つ、才能にあふれた人物」(a wonderfully talented person who does great jumps with a balletic expression)
・羽生選手のコーチであるブライアン・オーサー氏曰く:「彼が日本で練習する場合、真夜中でないと静かな環境が得られないことがある。普段の練習を行うトロント・クリケットクラブ(カナダ)でも、彼からの電話要請に応じて僕が車でリンク送迎したりする。なぜなら、彼がいつも乗るバスにファンが待ち伏せしていたから」。羽生選手の練習から記者やブロガーをシャットアウトするのも、クリケットクラブのスタッフの仕事だという:「誰にだって調子の悪い日はある。そんな時の様子は書かれたくないだろう?」
・昨年のNHK杯当時の羽生選手について、ブライアン・オーサー氏は「何としてでも五輪連覇、という強い意気込みにかられ、まさに躁病の一歩手前という状態だった(on the verge of manic)」と表現、競技人生には満潮と干潮の波があると説得しようとしたという。五輪連覇のディック・バトン氏も羽生選手に「練習しすぎるな」とアドバイスしたという。
・2006年トリノ五輪金メダリストのエフゲニー・プルシェンコ氏曰く:「羽生選手には、(ネイサン・チェンがやっているような)フリー演技で四回転ジャンプ5本など全く必要ない。そのスピンやスケーティング、ジャンプのつなぎや曲の解釈といったパーフォーマンスには、他の選手がとても及ばない完璧さがあるのだから。四回転を3本とクリーンなスケーティングがあれば、五輪連覇は可能」。プルシェンコ選手自身、有力視されていた五輪連覇を阻んだのは他でもない自身の怪我だった:「頭の中ではゴーサインを出していたが、体が追いついてくれなかった」


なお、要約の中には入れませんでしたが、記事の中には羽生選手を世界のどこまででも追いかける情熱的な女性ファンが何人も登場します。わざわざドバイから試合観戦に駆けつけるフライトアテンダントの日本人女性(30才)、アメリカ西海岸から羽生選手の応援に駆けつける際に「フィギュアスケートだけのためにわざわざヨーロッパに行くってマジ?」と職場の同僚から呆れられたというシステムエンジニアの日本人女性(50才)、「羽生選手の母国に行けば、彼のような完璧な人物がどのようにして成るのか分かるかもって思ったから」というだけの理由で日本に就職して今は大阪空港職員という中国人女性(28才)…みんな羽生結弦という人物に深く魅了され、大きな対価を払って彼を追いかけている人たちばかりです。今の日本を代表する国民的かつ国際的なスーパースターという意味でも、「氷上のマイケル・ジャクソン」という記事内の描写にはウンウンと頷かされるものがあります。

なお、この記事で私が最も注目したのは、最初の方に出てくるこの一文でした:

“This is a story about obsession”

リーダーズ英和辞典によれば、obsession(オブセッション)とは「観念などが取りつくこと、強迫現象、妄執、執着、強迫観念、取りつかれていること」という意味です。「これは強迫観念の物語である」…と筆者が冒頭部でブチ上げるこのNYTの長文記事が描写するターゲットとしては、羽生選手を世界中のどこまでも熱心に追いかけていく女性ファンたちの執着だけではなく、羽生選手自身の「何としても五輪連覇!」「どこまでも限界にチャレンジ!」というパーフェクション(完璧主義・完勝主義)へのあくなき執念も含まれているであろうことは、一読して想像がつきます。それでいて、かくも重要なキーワードでありながら、この記事内にはobsessionという単語が冒頭部のただ一回しか出てこないのです。そして、羽生選手を取り巻くプロスケーターやコーチにブロガーに一般のファンといった多くの人々の生の声を重ねることにより、見事なまでにこのobsessionの正体を記事全体に浮かび上がらせているのです。

(参考動画1からのスクリーンショット。『オブセッション』と言われると思い出さずにいられないのが、アニモーションというグループの80年代の大ヒット曲!このNYT記事を読んでからというもの、我が脳内では連日連夜、この曲が鳴りっぱなしです!曲をご存じない方も、懐かしすぎて再びお聴きになりたい方も、是非参考動画1へ!)

羽生選手の五輪二連覇を阻むものがあるとしたら本人の怪我以外にありえない…というエフゲニー・プルシェンコ氏も、普通に出来ることをやれば五輪二連覇は固いのに彼はそれでは満足できない…というお師匠のブライアン・オーサー氏も、練習のし過ぎには気を付けろと本人に助言したのに…と告白する五輪連覇の先駆者たるディック・バトン氏も、異口同音のコメントであたかも同じキーワードの周りを旋回しているかのごとくです。

それでは、その「普通にやれば敵などいない」はずの羽生選手の心のobsessionは、一体どこから来るのでしょうか?その解明のカギとして記事が挙げているのは、羽生選手が記者会見で口にしたという「素晴らしいジャンプとバレエ仕込みの表現力」というネイサン・チェン評です。ネイサン・チェン選手は1999年5月にアメリカのソルトレークシティーで生まれた現在18才の男子シングル選手。参考サイトBのICE NETWORKの記事によれば、幼少期からピアノ、バイオリン、ホッケー、体操などに親しんできたネイサン少年が中でも特に頭角を現したのが、7才から始めたクラシックバレエだったと言います。入団したバレエ団では、後に2016年のローザンヌの国際バレエコンクールで2位となるプリマドンナのマディソン・ヤングさんの相手役として大活躍(下写真:中央右が『眠れる森の美女』における幼き日のネイサン・チェンくん、左がマディソン・ヤングさん)。元々はフィギュアスケートの助けになればと始めたクラシックバレエながら、「彼はそのままバレエ団に残っていれば、(バレエ界でも)スターになっていたはず」とマディソンさんはコメントしています。

フィギュアスケートではジャンプの得点比率が高いため、難易度の高いジャンプを多く取り入れ高得点化を狙う過程で、どうしても自らのバックグラウンドとしてのバレエ的な芸術性がかき消されてくる(つまり難易度の低いプログラムを演じていた子供の頃の方が演技がバレエ的だった)と、そのあたりの折り合いにネイサン君は悩んでいるようです。それでも、今でも彼のフリースケーティングのプログラムにはバレエの基本5姿勢が入っているとのことで、しかしながら現行のフィギュアスケートの採点システムにはそういうものを評価する仕組みがないとも言います。また、『くるみ割り人形』のフリッツ役のような、自身のキャラクターとは全く相いれない役を小さいころから演じ切ってきた経験も、フィギュアスケートの表現に生きているとのことです。

いずれにしても、ネイサン選手が近年の男子シングルスケーターとしては稀に見る、本格的なクラシックの素養を持った逸材であることは、他国選手から集まる彼へのリスペクト溢れる視線というエピソードにも表れているように思います(→フィギュアスケートGPフランス大会観戦記(1)…グランプリ・ファイナル出場選手を一挙紹介!男女シングル編)。そして、世界的に無敵な史上最高のスケーターとされる羽生結弦選手にとっても、来る五輪における手ごわいライバルであることは間違いなさそうです。

それにしても、記事の中で「フィギュアスケート人気は世界的に凋落の一途」というくだりが出てきた瞬間は、「えぇ~っ、そうなのぉ~?」と驚かずにはいられませんでした。日本におけるフィギュアスケート報道やアイスショーの満員御礼ぶりを知っている者から見れば、何かの誤植ではないかと目を疑う文章です(笑)。しかし、何度も読み返しつつ考えれてみれば、以前の当コラムでも、ただでさえ若者のテレビ離れが進む上に泥沼の放映権バトルに庶民感覚からどんどんかけ離れていくマネーゲームといった五輪にまつわるドタバタ劇を見せられ続けたことで、ドイツ国民のオリンピックに対する気持ちはどんどん盛り下がってきている…という話を取り上げたばかりでした(→ドイツの五輪放映権トラブルとロシア選手団の派遣禁止が問いかけるオリンピック中継の存在意義)。それを証拠に、どこの国も五輪招致に立候補しようものならたちどころに自国内の住民投票で否決されてしまうことを繰り返しており、ひいては2024年パリと2028年のロサンゼルスの五輪開催の無風確定につながったのも記憶に新しいところです。(→目指すは「五度目の正直」!ドイツでも始まった五輪招致活動の前哨戦、→当サイトのコラムで振り返る波乱と激動の2015年

他にも、ニューヨークタイムズ記事には、五輪での羽生選手はクマのプーさんのティッシュケースをリンクサイドに持ち込むことはできない…という話まで載っていました。いくらスポーンサー事情とはいえ、こうも商業主義の論理ばかりが跋扈する不自由さにドーピング報道などがさらに追い打ちをかければ、どんな権威のあるイベントであったとしても、人心は離れていくのが既定路線なのかもしれません。

朝鮮半島情勢がまだまだ不安定な中で、北朝鮮が来月の平昌五輪に代表選手団を派遣するというニュースが最近流れました。フィギュアスケートにも、北朝鮮ペアが特別枠で参加するという情報があります。来月9日から開幕する冬季五輪が果たして平和とスポーツの祭典として滞りなく2月25日の閉会式を迎えることができるのか、最後まで気が抜けそうにありません。


<参考サイト>
A) New York Times(2018年1月4日):The Greatest Figure Skater Ever Is Michael Jackson on Ice, Surrounded by Winnie the Poohs
https://www.nytimes.com/2018/01/04/sports/olympics/yuzuru-hanyu.html

B) ICE NETWORK(2017年3月24日):Dance background helps to enhance Chen's skating - Years of ballet training have 17-year-old U.S. champion set up for success
http://web.icenetwork.com/news/2017/03/24/220700164/dance-background-helps-to-enhance-chens-skating

<参考動画>
1) YouTube - Animotion Obsession
https://www.youtube.com/watch?v=XdnzSLYBHbo

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