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金曜日

Dr.片山晴子

高校野球取材や大食い番組等のメディア出演を行う東京大学医学部医学科卒の脳神経外科認定専門医の医学博士。ドイツ在住。
2017/11/17

薬剤師の心の闇?それともお金?ドイツ医療史上最悪スキャンダル「抗癌剤調剤詐欺」の行方

今週に入ってから、「ドイツ医療史上最悪のスキャンダル」と呼ばれるニュースが大きく取り上げられ、人々の医療業界に対する不信に輪をかけています。世間を震撼させたその事件の舞台はノルドライン・ウェストファーレン州ボトロップ市という、エッセン市近郊の人口12万の小さな町。そして、人々の関心の中心たる主人公は47才の男性薬剤師で、今週からこの人物に対する公判が始まった…というニュースです。

(2017年11月13日、朝のニュース番組”ARD Morgenmagazin”より)

上写真には、立派な門構えの老舗薬局の飾り扉が写っています。創業150周年を迎えたばかりというこの薬局で前代未聞の事件が発覚したのは昨年11月。逮捕された薬剤師はこの薬局の創業者一族の末裔でもあり、この薬局の主でもあります。ということで、事件内容について、当コラムサイトでもすっかりお馴染みの朝の情報番組”ZDF Volle Kanne”の内容(参考動画A)を基にかいつまんで説明します↓。

その前に、まずは基本情報を抑えておきましょう。ドイツでは、癌患者が抗癌剤療法を受けるための点滴を調剤する薬局は許可制となっています。そして、そのような薬局はドイツ全土に200軒しかなく、今回の舞台となったボトロップの薬局も、その数少ない化学療法調剤の認可を受けた薬局の一つでありました。ドイツ全土における抗癌剤の調剤件数は年間300万件以上とされており、実際には薬局毎に多少の規模の差はあるでしょうが、単純計算すると一軒あたりの調剤件数は年間1万5千件、一日当たり60件前後(年間調剤日数を250日と仮定した場合)…といったオーダーになるはずです。(参考サイト1~2)

しかし、今回問題となった薬局で調剤された化学療法の点滴には、何と、抗癌剤がごくわずかしか入っていなかったり、全く入っていない単なる食塩水だったのです!この薬剤師は、自身が薬局のトップであるため周囲から監視されにくい立場であるのをいいことに、医師からの処方箋通りの薬剤コストを患者本人ないし健康保険組合に満額請求しておきながら、実際は勝手に薄めた点滴ないし単なる食塩水を納品、その差額を自らの懐に入れていた…というのが今回の逮捕容疑です。このようにして着服した総額は、分かっている過去5年分だけで何と5600万ユーロ(≒76億円程度)にも上るという、悪質極まりない巨額詐欺事件です。しかも、もし皆様が癌患者だったとして、せっかく高いお金を捻出して投与されるはずだった抗癌剤が点滴袋の中に全く入っておらず、それによって本来数カ月なり数年なり延びると期待された余命が短縮した可能性があると言われたら、どのような気持ちになるでしょうか?そう考えると、本人に癌患者に対する悪意ないし殺意があったのかどうかも大いに争点になってしかるべきでしょう。

なお、この手の事件ではほぼお約束とも言えそうですが、こちらの事件の場合もやはり、発覚した経緯は内部告発でした。同薬局に勤務する調剤アシスタントの女性が、化学療法に使用されなかった点滴を近隣クリニックから引き取った際、「点滴ボトルを振っても泡が出なかった」ことと、「薬剤注入用ポートに注射針の刺入痕がなかった」の2点からこの女性が疑惑を確信、警察への通報を経てこの男性薬剤師の逮捕につながったのでした。(以下、写真2点は参考動画Aより)

(左は医師で医療ジャーナリストのクリストフ・シュペヒト氏。点滴ボトルを揺らしても泡が出ない…という状況を手持ちの食塩水の点滴袋で再現しているところ。右は番組司会のインゴ・ノムセン氏)

(食塩水の点滴バッグの薬剤注入用ポートを示すシュペヒト氏。ここに刺入痕が見られなかったことも、事件発覚の決め手となった)

この話を聞いて即座に思い出したのが、日本における大口病院の事件でした(参考サイト3)。こちらは、昨年の夏頃に多数の入院患者が短期間に次々と変死した原因が実は「消毒剤入り点滴による連続殺人」だった疑いが濃厚…という、これも日本医療界にとっての一大スキャンダルでした。今回のドイツの事件もこの大口病院のケースと類似点が多く、中でも消毒剤の混入が発覚した最初の契機が、看護師が点滴袋を振った際に「泡立つはずのない泡が立った」という話は、今回の「泡立つはずなのに泡立たなかった」ことで発覚したドイツの件とはパターンこそ逆でしが、話は実によく似ており、現場の医療従事者の「人間としての第六感」が事故防止のためにいかに大切であるかを痛感させられます。

なお、この事件についてさらに調べてみたら、北ドイツ放送がその前週に放送した動画が見つかりました。リアルタイムでは見逃していたこの30分ほどの番組は、今週始めのニュース以上に私を驚かせる内容がテンコ盛りでありました(参考動画B)。何とこの男性、化学療法調剤薬剤師としては掟破りの行為をかなり以前から繰り返していたという、薬剤師としてはかなり問題のある人物だったというのです↓。

老舗薬局の跡継ぎであるこの男性薬剤師は、市内の大豪邸に愛犬のラブラドール・レトリバーと独り暮らし(ということは独身?少なくとも同居家族はいない)。それだけなら良いのですが、この愛犬を何と自らの職場の清潔区域である化学療法調剤室に連れ込んで作業していたと言うから、これは明らかに問題です(参考動画Bからのスクリーンショット:下写真左)。本来、免疫機能が低下している癌患者対する点滴調剤には清潔操作が要求され、滅菌ガウンやマスクにヘアキャップに手袋等の着用が義務付けられているのに、それも無死して普段着のまま、犬を連れて土足で調剤室に出入り、しかも常に一人で作業していたというハチャメチャぶりです(同・下写真右)。ラブラドールといえば先週のドッグショーのコラムで出てきたばかりなだけに、まさかの「ラブラドールつながり」にこちらの方がビックリです(笑)。(→アクセスがウナギ登り!お茶の間で楽しむワールドドッグショー2017 inライプツィヒ


なお、化学療法調剤とは本来どのような光景となるはずなのか、参考までに供覧しましょう↓(参考動画Aより)。

ドイツには、化学療法調剤は必ず2名以上で行わなければならないという”Vier-Augen-Prinzip”(四つの目原則)というルールがあり、必然的に左上写真のように調剤フードの前にフル装備の薬剤師が二名、互いに協力しながら作業することになります。一人での作業を禁止しているのはミス防止だけではなく、今回のような不正行為を防止する目的もあるはずです。また、靴の上にカバーを着用するのも義務であり(右上写真)、このようなスペースに犬を連れ込むのがいかにあり得ない事かがお分かりいただけるはずです。問題の薬局は、点滴を巡るお金の不正以前に、そもそも「衛生上のルール違反の常態化」というモラルハザードが先行していたようです。

この疑惑発覚に貢献した先述の調剤アシスタントの女性は、抗癌剤調剤を手伝うべく一緒に作業すること義務付けられているにもかかわらず、この男性薬剤師から毎回「一人で調剤するから退出するように」と言われたこと(左下写真)、そして、その調剤スピードがたった一人で「一時間に80本」というあり得ない早さだったこと(右下写真)から、何かがおかしいと昨年夏の時点で感じていたと言います。

しかし、2016年夏、同じく何かがおかしいと気づいた人物がいました。それが、この薬局の会計担当者の男性でした。この男性はある日偶然見かけた端末上で、薬剤の発注量が予想外に少ないのではないかと直感したそうです。そして、薬局のトップたる男性薬剤師には内緒で、院内の抗癌剤の発注(購入)量と医師の処方量を丹念に突き合わせていったところ、ほとんどの抗癌剤について乖離があることに気付きます。例えば、あまりに高額すぎて日本でも話題となっているオブジーボという薬剤に限っても、同薬剤の販売開始以降の購入量は16420mgで、医師からの処方量は52174mg、つまり1/3程度で(左下写真)でした。この不正により、半年の間に本来なら34000ユーロの収益となるところを、この男性薬剤の手元には615000ユーロの収益が転がり込んだことを、この会計担当は独力で突き止めたのです(右下写真)。  

先述の女性アシスタントとこの男性会計担当者は、同じ疑念を抱いていることを知って証拠固めに協力することになります。そこにたまたま、近隣クリニックにおいて抗癌剤治療が中止になったケースが発生、使用されなかった点滴を処分するように頼まれた女性アシスタントがクリニックに出向いたことから、冒頭の「出るはずの泡が出なかった」という話に繋がっていくのです。女性アシスタントは、破棄されるはずだったこの点滴こそが確たる物証であり、男性薬剤師の不正を暴く最初で最後のチャンスと考え、この点滴袋をそのまま警察に持ち込み正式鑑定を経て疑惑が確定。同薬局に11月末に査察が入り、男性薬剤師も逮捕されました。なお、逮捕時点でこの薬剤師が調剤済みだった点滴袋117点を押収したところ、中身が薄められたり単なる食塩水だったのは全体の半数だったとのことです。

なお、ドイツにおける抗癌剤市場の規模は年間40億ユーロ(≒5400億円)とされます。前述したように、化学療法調剤薬局の数は約200軒であり、ここでも単純計算すると1軒当たり27億円程度のお金が動く業界ということになります。これに5を掛ければ5年間で135億円となり、今回問題となった薬局における「5年間で76億円」という着服金額と、「調剤された抗癌剤点滴の約半数に不正」という報道を見比べれば、だいたいの桁はあっており、情報の整合性がさらに補強される結果となっています。

ちなみにこの男性薬剤師、先祖代々150年という薬局家業の御曹司だけのことはあり、地元の名士として過去にテレビ出演も果たしていたようです。下写真は2015年に地元のマラソン大会で「ホスピス支援」の募金活動の先頭に立っていた際の映像(参考動画Bにおいてアーカイブ映像として登場)ですが、インタビューでもっともらしいことを話すその表情と語り口からは、今回のような犯罪にこの時点で既に手を染めていたとはとても想像ができません。ホスピス支援のために少なからぬ私財を投じていたという「天使の顔」と、今回の点滴不正という未必の殺意すら感じさせる「悪魔の顔」という二面性、さらには身近にいるのがラブラドールのみという「御曹司の孤独」というあたりに、この男性薬剤師の圧倒的な心の闇をいきなり見せつけられ、人々は戸惑いの真っただ中にあります。それとも以前の募金活動は、抗癌剤を必要な人に抗癌剤を与えなければホスピスが千客万来になる…とでも考えていたのでしょうか?

(字幕は参考動画Bにおける聴覚障碍者用字幕。直訳すると「彼は神の役割として他人の生死を操りたかった」という内容)

最後に、私がこの報道で最も怒りを禁じ得なかったのは、医療界全体や癌患者個人のためにと勇気を持って内部告発をしたこの2人の人物が、それぞれ薬局を解雇され、今だに再就職ができていないという話です。私が抗癌剤投与を受けるのであれば、この二人の告発者を忌避する薬局よりはむしろ、この二人を積極的に雇用するような薬局で是非ともお願いしたいところですが、皆様ならいかがでしょうか?この男性薬剤師は地元の名士として有力者とも懇意だったそうですが、そんな人物を内部告発した人々が同じ業界から永久に追放されてしまうとすれば、そちらの方が問題です。ちなみに、二人の告発者はいずれもこの男性の幼馴染でした。仲間、裏切り、職業倫理、金欲、支配欲…今回の事件は犯行動機が謎だらけで、色々な観点から真相解明が望まれる事件ですが、肝心の本人が完全黙秘を続けており、このままでは殺人罪での起訴は絶望的とされています。今の「健康保険組合に対する詐欺罪」(最高で懲役10年)という話だけで終わってしまうのか、それとも被害者からの反撃があるのか、今後の行方にも大いに注目したい事件です。


<参考動画>
A) ZDF Volle Kanne(2017年11月13日):Medikamentenskandal in Bottrop
https://www.zdf.de/verbraucher/volle-kanne/medikamentenskandal-bottrop-102.html

B) NDR Panorama - Die Reporter(2017年11月7日):Der Krebsapotheker
http://www.ardmediathek.de/tv/Panorama-die-Reporter/Der-Krebsapotheker/NDR-Fernsehen/Video?bcastId=14049192&documentId=47416742

<参考サイト>
1) Westdeutsche Allgemeine Zeitung(2017年11月13日):Apotheker-Prozess: Verzögerung nach Diskussion über Schöffen
https://www.waz.de/staedte/bottrop/apotheker-prozess-verzoegerung-nach-diskussion-ueber-schoeffe-id212525861.html

2) CORRECTIV.RUHR(2017年11月13日):Prozessauftakt Alte Apotheke: Patientenschicksale rücken in den Fokus
https://correctiv.org/blog/ruhr/artikel/2017/11/13/prozessauftakt-alte-apotheke-patientenschicksale-ruecken-den-fokus/

3) Süddeutsche Zeitung(2016年10月5日):Yokohama - Vergiftete Infusion
http://www.sueddeutsche.de/panorama/yokohama-vergiftete-infusion-1.3191833

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