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金曜日

Dr.片山晴子

高校野球取材や大食い番組等のメディア出演を行う東京大学医学部医学科卒の脳神経外科認定専門医の医学博士。ドイツ在住。
2014/03/21

相変わらず地名人名はハチャメチャ!それでも渾身作!ドイツn-tv『フクシマ…大災害の三年後』(1)

今年の3月11日は月曜日でした。東日本大震災からとうとう丸3年を迎えた日本では、3周年追悼式が国立劇場で開催され14時46分には黙祷が捧げられたと、ここドイツやフランスのテレビ局でも大々的に報道されました。日本の報道と比較した訳ではありませんが、こちらの報道で真っ先に気付くのは、その話題の中心が地震や津波よりも圧倒的に「FUKUSHIMA」すなわち原発事故と放射能汚染の話題に重点が置かれていることでした。中には、呼んだ瞬間にブッ飛んでしまったこのような字幕もありました。これは、フランスのニュース専門チャンネルFrane24で番組中に流れていたテロップです:

「JAPON: MINUTE DE SILENCE POUR COMMEMORER L’ACCIDENT NUCLEAIRE DE FUKUSHIMA DU 11 MARS 2011」
(日本:2011年3月11日の福島原子力発電所の事故を追悼し、黙祷をささげた)

いやいや、ちゃいまんがな、それ!と、テレビに向かって思わずツッコミを入れてしまいました。日本国民が3・11に追悼するとしたら、その対象は地震と津波の死者に対してなのでは?原発事故の原因が地震と津波にあるのは間違いないでしょうが、実際に爆発したのは3・12以降であることを考えると、このテロップはあまりに極論というか、端折りすぎというか…。それでも、欧州各国が「FUKUSHIMA(フクシマ)」という対象に執着的なほどの注目度の高さもまた、このテロップがあぶりだす現実なのかもしれません。

さて、思えば3年前の震災当日といえば、私にとってはフランスからドイツへの移動日でした。そして、日本のマスコミの報じないようなこともバンバン報じたドイツメディアに詳連日腰を抜かしたりしていました(→緊急寄稿…”SEISME DU JAPON”の衝撃、→緊急寄稿(2)…さらに衝撃的だった”ERDBEBEN IN JAPAN”、→緊急寄稿(3)…今度は”Super-GAU”の大合唱、→緊急寄稿(4)…ドイツの天気予報に起きた異変、→緊急寄稿(5)…「German Angst」から「民族大移動」へ)。中でも、特に印象深かったのがn-tvというドイツのニュース専門チャンネルの日本関連報道でした。陸前高田(りくぜんたかだ)のことを「リクー、ツェンタカータ!」と何の迷いもなく堂々と言い放ったアナウンサーの姿に、この局に日本エキスパートはおらんのかいなと、テレビにツッコミ倒した三年前の思い出が、まるで3日前のことのように鮮やかによみがえります(笑)。(→緊急寄稿(6)…「ツェンカータ」に思う国際報道の難しさ

そんなn-tvですが、今年もまたやってくれました!3月11日の午前0時5分から50分という長さで深夜にタップリ放送された「3・11フクシマ特別番組」は、同局の”Auslandsreport Spezial”(海外特別レポート)という番組枠をフルに使った渾身のドキュメンタリーでした。

ドイツn-tv (2014年3月11日0:05~):「FUKUSHIMA 3 Jahre nach der Katastrophe (フクシマ 大震災の三年後)」
http://www.n-tvnow.de/auslandsreport-spezial/fukushima-3-jahre-danach.php?container_id=155897&player=1&season=0

例によって例のごとく、相変わらず地名や人名はハチャメチャで、日本語ネット検索で本当の名前を知った瞬間にヘナヘナと脱力してしまうような間違いがあちこちに炸裂しています。今回は浪江が「ナミー」(Namieをドイツ語読み)はまだ可愛い方で、阿武隈川をアブクマではなく「アブカーマ」、楢葉(ならは)町は何と「ナハラ」(ラとハが逆でサハラ砂漠も真っ青)という、ツェンタカータに負けず劣らずの大物揃いです!人の名前も負けず劣らずで、「カンイチ(寛一)」さんが「カナイチ」、「ノブコ」さんが「ナブコ」さん、苗字が「SURUCHMA」(ドイツ語読みだと「ズルちま」になってしまい踏んだり蹴ったりですが、正しくは鶴島でしょうか?)とか、細かいことを挙げればそれはもうキリがありません。しかし、その手の可愛いミスに目をつぶれば、中身は他局の番組と見比べても一、二を争う充実度です。この3年間の福島を取り巻く環境や立場の変遷が、色々な角度から語られています。中でも五輪開催決定以降、「福島はとっくに忘れ去られた」と訴える避難生活の老人の心の叫びは重いです。避難区域設定についても知らない間に変化があり、福島県の現状を勉強し直すいい機会になりました。

この日本国民必見の大事なレポート、日本で広く視聴されないとしたら残念です。特に福島の皆さまのためにも、三部構成のこの番組のセリフ全訳を今週から写真も交えて紹介していきたいと思います。(以下、黒字は全て番組内のナレーションやセリフで、筆者和訳ではあるものの内容はn-tv制作で、筆者の意見ではない。筆者が私見や注釈を差し挟む場合は、括弧つきで赤字として区別した)

【第一部】

それは、日本にとっては未曾有の大災害だった。まず大地震が発生、さらに大津波が続き、しまいには福島第一原発の重大事故に至ったのである。



(牧場主):「私はこの目で見た。原発が何度も爆発し、煙が上がってきたのを」

役所がその腰を上げるのには時間がかかった。15万人以上の人々が避難勧告を受けた。この地区は、今どうなっているでしょうか。私たちは無人の警戒区域内を取材しました。ここには再び人は住めるのでしょうか?私たちは、避難所生活が続く住民の話を聞きました。

(避難生活者):「今や労働者はみんな東京五輪の方に取られていって、(福島の)我々は忘れ去られている」
2020年には日本ではオリンピックが開催される。そのためなら、日本政府はどんな危険だって小さく見せることを厭わない。

(安倍首相):「健康不安や心配することは全くありません」

心配ない?事故を起こした原発はいまだにトラブル続きで、いまだに放射能に汚染された水が海に流れていく。

(原発作業員):「(福島第一原発は)コントロールされているとはとても言えない状態にある」

タイトル表示 『FUKUSHIMA.....Drei Jahre nach der Katastrophe』(フクシマ…大災害の3年後)



私たちは南相馬市でワタナベ・カナイチ(←正しくはワタナベ・カンイチ、漢字表記は渡部寛一)に会った。ここは事故を起こした原発の北方にある小さな町で、大きな津波が3度襲って千人以上が死んだと、南相馬の市議会議員でもあるワタナベは話しながら町を案内してくれた。

ワタナベ:「避難勧告が解除された際、老人たちは多くが南相馬に戻った。病院や老人ホームはまだ再開されていなかった。若い人や子供のいる人は戻ってこなかった」

それには理由がある。地震や津波の被害がない所は、放射能に汚染されているのだ。ワタナベは私たちを車で海岸方面へ連れて行った。そこに行く途中には、壊れた家々が並んでいた。

ワタナベ:「ここら辺には80軒ほど家があったが、今はもうほとんど残っていない。津波が来たとき、みんなあちらの丘に向かった」

ワタナベは震災直後から連日、捜索隊の救助活動に加わっていた。生存者や怪我人を探していたのだが、みつかるのは遺体ばかりだった。

ワタナベ:「この先で生後10日程度の赤ん坊が死んでいるのを見つけた。母親が実家に戻ってお産をしたばかりで、その家はすぐそこにあったが、津波で400メートルほど流された。結局、一家全員が亡くなった」
隣人たちがこの家族のために仏像を作った。仏教では石像の前に食べ物などのお供えをする。赤ん坊を発見したこともあり、ワタナベは涙をこらえるのに精一杯だ。


私たちはさらに原発から20キロ圏内の警戒区域に入っていった。ここから先は、特別許可がないと入れない。

私たちが通り過ぎたこちらの小学校には、3・11当日150人の生徒がいたが、先生の速やかな誘導避難で全生徒が助かった。しかし、漁港はそうはいかなかった。かなりの人が死んだ。近隣の倉庫や民宿も壊れたまま、直す人もいない。放射線量が高すぎるためである。

ここで、渡部氏ブログによると「美人のディレクター兼ニュースキャスター」とされるナディア・クリーヴァルト(Nadja Kriewald)記者がマスク姿でマイクを片手に登場!


記者:「私の背後に見えるのは、福島第一原発の排気塔です。原発から6.5キロ離れたこの地区は、津波の被害も甚大で、陸に打ち上げられた船がいくつも見えます」


これらの船は田んぼのど真ん中にあり、この田んぼもまた汚染により耕作不可能となっています。ワタナベは汚染には不安はないとして、私たちスタッフが着用する防護マスクを拒否しました。自分もすぐ近くに住んでいるから、とのことです

ワタナベ:「ここは元々は漁村で、漁師の家も多く、観光客が毎年のようにサケ漁目当てに来ていた」
彼の話では、津波の水により家々が回転していったという。信じられないことだ。

ここで再び検問があった。ここから先は、我々の持つ特別許可証では入ることができなかった。高線量で危険だからという理由だ。


ということで、Uターンした私たちは浪江(Namie)に向かった。かつて人口2万5千人だったこの町は、今やゴーストタウンだ。地震と津波の被害もあった上に、福島第一の爆発も加わった。

記者:「ここが浪江の中心部です。町民は津波の翌日、つまり3月12日の早朝5時頃に起床するやいなや避難しなければならず、それ以降ここには誰も住んではいけなくなりました」



夜逃げのように住民は家を離れなけれはならなかった。日中数時間の一時帰宅なら認められる。庭にはますます雑草が伸びていく。自動販売機は誰も手入れする者がおらず、店先の陳列もそのままだ。泥棒を見張るために警察が巡回している。通勤用の自転車は駅前に3年来放置され、誰も取りに来ない。線路も雑草が生え放題で、電車も運行停止している。



すぐ近くに、地元新聞紙(←福島民報)の販売所がある。3月12日の未明に当日付の朝刊がまだ配送されていたのは、この時はまだ原発からの異常の報告がなかったからである。新聞の見出しも、地震についてのものである。



字幕は、「事故が残したゴーストタウン」の意味。上の写真で、販売所の窓にセンバツ高校野球の出場校一覧のポスターが貼られている。センバツ直前という震災時期をよく表している。福島民報と毎日新聞が協力関係にあり同じ販売所から配達されることをこの映像で初めて知った

ワタナベ:「各家庭に新聞が配られる前に、避難勧告が出た」
記者「確かに、(新聞の日付が)3月12日になっている」
それが、全員が去らねばならない日だったのである。



ワタナベ・カナイチ(←正しくはカンイチ)もこの日、自宅を去らねばならなかった。ここで米や大豆を作っていた61歳の彼には、幼少期を過ごしたこの家に戻ってくるのも心境複雑であった。両親が海岸に近いこの地に家を建てたのは80年前。ここは元々とても治安が良く住みやすい土地だったと彼は言う。

ワタナベ:「避難勧告が出たとき、家の鍵を探すのにエラく苦労した。家にカギをかける習慣がないものだから。他の住民もそうだったはず」

私たちは勝手口から入ることにした。日本ではおなじみのことだが、靴は入口で脱がなくてはならない。放射能汚染された家に入るのにもかかわらず。

部屋は手つかずで、いつでも主が戻って来れるようになっていた。風呂は新調したばかりで、水も電気もまだ使えている。壁には先祖代々の写真が、その隣には子や孫の写真が飾られている。



ワタナベ:「悲しいです。とても悲しいです」(←言った瞬間に目を潤ませ、たまらず奥の部屋に引っ込む

私たちはワタナベ邸を後にした。ワタナベは、政府が大丈夫だと断言しているにもかかわらず、自分がこの家に二度と住むことはできないと知っている。他の何千人もの住民も同様である。南相馬では自治体が、津波と原発事故からの避難民のために木造プレハブ住宅を建てた。ここに、夫を津波で亡くした83歳のスルチマ(鶴島?ドイツ語だと「ズルちま」に聞こえてトホホ)さんは住んでいる。彼女の夫は、まさに文字通り彼女の腕から引きはがされるようにして、波にさらわれていったという。

スルチマ(鶴島?)・ヤヨイさん:「(地震と津波による)ショックのあまり、夫は動けなくなっていた。水が押し寄せ、津波の第一波が私たちの上を通り過ぎていった時、私は夫を背負い出して車を支えにつかまった。しかし、次に津波の第二波が来たら、今度は夫だけが流されて行ってしまった」



彼女はその時のことをかなり淡々と説明しては、サッと笑顔に戻るのだった。そして、震災以降に助けてくれたあらゆる人々に感謝を述べるのだった。怒りはなく、あるのは悲しみだけだ。

その点、82歳のオオグロ・ヒデオは違う。彼もこの木造仮設住宅に暮らしている。彼は怒っていた。ヤツラは警告を発するのが遅すぎた、と彼は言う。

オオグロ:「地震の翌日は自宅が住める状態じゃなかったので、義兄の所に身を寄せた。そこでテレビをつけて初めて、原発で本当は何が起きたのかを知った。3月12日の夜のことだった」



この日以降、オオグロ夫妻は8回も引っ越しを余儀なくされた。避難所を渡り歩いた末、ようやく数か月前からこのプレハブに落ち着いた。もっとも、老いた人々には悲しみも大きい。せっかく広大な家に住んでいたのに…という思いである。

オオグロ:「政府は(福島の人のために)宿泊施設を増やそうという気はなく、除染作業も行き詰っている。そこに来て2020年の東京五輪が決まり、労働者がみんなそちらに取られている。政府にとっては五輪の方が大切で、(福島の)我々のことはもうとっくに忘れたかのようだ」

2020年に日本はオリンピックを開催することになっており、そのためには政府はどんな危険性さえも無かったことにする。ここでは赤いヘルメットをかぶっているのが安倍晋三で、2013年に福島原発のPR活動をしている。
安倍「私は以前から世界に向かって言っている。(ここには)健康リスクや不安要素は一切ない」
五輪直前となる2019年までには、福島第一原発周辺の除染が完了しているとの予定である。



「そんなの絶対ムリ!」と(浪江の)牧場主であるヨシザワ(吉沢正巳)は言う。ヨシザワは原発を動かす東京電力に対しても、政府に対しても、怒っている。なぜなら、両者とも住民に対して適切な警告を発せず、損害に対してもきちんと賠償してくれないからである。

ヨシザワ(巨大な双眼鏡を手に):「(原発事故を)ここから見ることができた」

ヨシザワの牧場からは、肉眼でも福島第一原発がよく見える。

ヨシザワ:「自分は自衛隊による放水作業のヘリコプターも見た。原発事故の詳細もここから観察していた。何度も何度も爆発が起きた。そして、煙が上がった」



原発事故後、多くの人はパニック状態で逃げて行った。しかしヨシザワは残った。彼の飼う牛がどっちみち逃げられないからである。

記者:「2011年3月、福島原発事故で放射能を帯びた雲が流れてきたその時、この牛たちはほとんどが外に出ていた。土は放射能汚染され、エサも放射能汚染され、彼らは死ねばそのまま『放射性廃棄物』となるのです。それでもヨシザワ氏は、牛たちの寿命がくるその日まではこの牛たちの世話を続けたい、そうせずにいきなり殺すのはイヤだと彼は思ったのです」



彼は警察の幾多の要請にもかかわらず、この地を去ろうとしませんでした。動物たちを残して行きたくなかったのです。

ヨシザワ:「震災直後、近隣農家はみな緊急避難をさせられた。動物たちを天命に任せる形で残して行かざるを得なかった。そして、戻ってみたら1500頭の動物が厩舎で餓死していた。あの光景は、まさにこの世の地獄だった」



牛の世話はヨシザワの姉やボランティアの人の助けを借り、エサは近隣のスーパーマーケットや他の農家からの寄贈で賄っている。この牛たちが汚染のため売り物にならないため、彼には収入がない。この地の線量は当初22μSv/hもあったが、今はそれよりは明らかに下ってきている。私たちは自前で測ってみたが、その数値にはバラつきがあった。

(ガイガーカウンターを土の上に置いて測定する記者。端末には7.39μSv/hの数字が見える)



記者:「ここでの測定値は6から7μSv/hの間です。これはまだまだ、かなり強い放射能汚染です」

ヨシザワ:「2011年7月、私は他の100人位の人と一緒にホールボディーカウンターを受けた。とても高い値が出た。それでも自分は避難すべきか否かわからず、ここにさらに1週間残った」

牛の場合はかなり個体差があるようだった。事故直後にすぐに死んだ牛もかなりいたが、事故後に仔牛を生んだ牛もいた。その健康状態を、ボランティアの獣医さんが定期的にチェックしに来る。

ヨシザワ:「放射能が動物たちの血液や肌にいかなる影響を与えるか、私たちは厳密に調査している。牛が病気になって安楽死させる場合は、解剖して臓器の中の放射線量や組織変化を観察する。野生動物や昆虫もまた同様に調査している」

例えば、彼の牛たちの場合、震災後から肌の白斑が顕在化した。これは、震災前にはなかったものだという。もっとも、今は牛が毛深い時期であるため、この白斑が見にくくなっている。そうこうしているうちに、彼は警戒区域に残る唯一の牛農家ではなくなった。同業者が12人ほど、全員が一日中滞在する訳ではないものの、戻ってきたのだ。

「自分はもうすぐ60歳だけれども、今後あと20年は生きたいと思っている。達成できるかわからないけれども、原発事故が人や動物にどのような影響を及ぼすのか、使命感を以て体験を記録し伝えていきたいと思う」
「カウボーイ・レジスタンス。カウ・テロリズム!」


(著者注↑:マイクを向けられる側と向ける側。そのマスクの有無が、これまた何かを雄弁に語っている)

これはレジスタンス、カウボーイの抵抗運動だと彼は言う。日本はこの教訓から学ぶべきだ、そして原発を廃止するべきだとヨシザワは考える。今回福島第一原発事故で起きたような事態は、地震のリスクのべらぼうに高いこの国にあっては、今後いつ何どきまた起きてもおかしくないからである。

この後すぐ…:子供たちが放射能汚染土の入ったプラスチック袋の横で遊んでいる日常、そして、「原発の中はこのようになっている!」という原発作業員の告発です。


左:汚染土を詰めた青い袋。右:福島第一の汚染水

<参考サイト>

南相馬市議会議員名簿(議席順)(2013年2月10日登録、同年11月13日更新)
https://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/8,3981,55,html
(番組中に登場のワタナベ・カンイチこと渡部寛一氏)

渡部寛一(わたなべかんいち)ブログ 日本共産党
http://watanabe12345.blog90.fc2.com/
番組登場の渡部寛一氏本人のブログ。ドイツのテレビ局の取材を受けたことについて、本人発行の3月8日発行「なじょしてる通信320号」は以下のように記述している(引用は青字):
現状をドイツにも伝えて!!
2月下旬、ドイツのテレビ局の方を小高と浪江を案内してきました。小高もさることながら、特に復旧が進まない浪江町を見て、心が強く痛みます。帰路、耳谷の自宅に立ち寄った際、美人のディレクター兼ニュースキャスターに「自宅に来た感想」を聞かれ・・・・・、私は、声が出なくなって、黙ったまま隣の部屋に行ってしまいました。その後の取材に集まってくれた高見町仮設住宅の皆さんに感謝、感謝です。

(↑もし渡部寛一氏がオンエアで自分の名前がずっと「カナイチ」と呼ばれていたことを知ったら、美人のディレクター兼ニュースキャスターには文句を言うのかな?高見町の避難者の女性も苗字が「ズルちま」になってたし!笑)

福島 フクシマ FUKUSHIMA 「ベコ屋の戦闘宣言 浪江町・吉沢正巳さんを訪ねて」
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-60.html
(浪江の牧場主・吉沢正巳さんについてかなり詳しいブログ記事。吉沢さんの震災後の行動の記録から脱原発の主張まで、大変説得力があり必読)
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