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金曜日

Dr.片山晴子

高校野球取材や大食い番組等のメディア出演を行う東京大学医学部医学科卒の脳神経外科認定専門医の医学博士。ドイツ在住。
2013/11/22

心に響くカストラートの歌…カトーイ(ニューハーフ)にも共通する「低ゴナドトロピン血症」の未来やいずこ?

あれは、私の記憶が正しければ一年半ほど前のことだったでしょうか。ANAの長距離国際線のシートプログラムで観た映画にそれはもうハマってしまい、約12時間というフライトの間、何度もその映画ばかり繰り返して観ていただけでなく、出てきた曲の名前や歌詞を血相を変えつつ片っ端からメモしまくっていた私は、きっと客室乗務員からは謎の客と思われていたことでしょう。そして、以前の記事でご紹介したように、ドイツにおいてタイのニューハーフコンテストの話題(→心に響くカトーイの歌…ニューハーフではなくレディボーイ?!タイのコンテスト「ミス・インターナショナルクイーン」をドイツで知る)やインターセックス関連の報道(→「インターセックス」(両性具有)って何?ドイツ身分法の改正報道の核心に迫る!)が相次いだ際、どうしても関連付けて思い起こさずにはいられなかったのが、あのANA機内でハマったという、こちらの映画でありました。

Farinelli Il Castrato (日本語版Wikipediaによる邦題は「カストラート」、英題「Farinelli」。青字は同サイトからの引用)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29
『カストラート』は、実在したバロック時代のカストラート歌手ファリネッリの生涯を描いた伝記映画である。1994年制作。イタリア、ベルギー、フランス合作。ジェラール・コルビオ監督。

皆さんは、ファリネッリという歌手をご存じでしたでしょうか?17~18世紀のイタリアに特に多かったという、カストラートという存在を聞いたことはありますか?私は恥ずかしながら、この映画を見るまで知りませんでした。リーダーズ英和辞典によると、カストラートとは「17~18世紀、少年の声域を保つため去勢した歌手」のことで、英語のcastrateは(通常は)精巣除去のことを指します。今でも畜産領域においては、牛や馬や羊などが「おとなしい性格にする」「上質の肉を得る」といった目的で去勢されるのは珍しくもありませんが、人間を、それも年端もいかない坊やを、本人の意思とは無関係に去勢するというのは、穏やかな話ではありません。もっとも、歴史の授業で頻出の宦官(去勢された男性役人)などは古くから西アジア諸国を中心に存在しており、その中でもかつての中国(後漢、唐、明など)で強い政治的実権を握っていた役人集団が特に有名ですが、彼らのケースとイタリアのカストラートとでは、その手術に至る経緯もその後の人生も、かなり異なるようです。

そのあたりを説明してくれているのが、こちらのドイツWikipediaのカストラート(Kastrat)に関する記述、およびそこでも紹介されているZDFの”Opfer und Verführer…Das Schicksal der Kastraten”という番組のナレーションです(動画はYouTubeで視聴可能であり、そのリンクは末尾にまとめてご紹介しておきます)。これらの内容を、要点を和訳して箇条書きで以下に書き出しておきます。
http://de.wikipedia.org/wiki/Kastrat
・カストラート最盛期のイタリアでは年間4000人がカストレーション(精巣摘出手術)を受けていた。その多くは、なけなしの金で売られていく美声の少年。親にとっては、一時収入もさることながら、口減らしの意味もあったのと、音楽学校に売られていくカストラート要員の少年は読み書きなど(場合により楽器習得も)、(親元では到底不可能な)教育を受けることが保障されていたということが、何よりもその決断を後押しした。「あわよくばファリネッリのような大スターに」との期待もかすかに抱きつつ、特に貧しい親たちは息子を手放すのだった。
・カストラートの去勢手術(精巣摘出)は、衛生環境も麻酔技術も確立していなければ抗生物質も発見されていないという当時の医療レベルの低さに鑑みても、お世辞にも正しく行われたとは言い難く、多くは手術そのもので命を落としたものと推察される。この手術を生きて乗り越えたものだけが、ようやく音楽学校(Konservatorium)の門をくぐることができる。しかし、彼らは音楽学校にいる(カストラートでない)一般生徒には嫌われており、(自殺防止のために)窓に鉄格子のついた部屋に隔離されていた。ある者からは愛され、ある者からは嘲笑されるというような存在。
・当時の教会はカストラートを人道的見地から表向きは禁止していた。手術自体も非合法で、ほとんどはアングラで行われた。しかし、実際にはカストラートを必要としていたのは教会そのものだった。「女性は教会内で歌ってはいけない」(Mulieres in Ecclesis taceant.=女性は神の家では沈黙せねばならない)という新約聖書の一文があるために、少年合唱団が盛んだった教会音楽において、カストラートの存在もまた不可欠なものとなるに至り、結局は黙認することになった。
・思春期前の少年をカストラートにすることの利点は、「声変わり」を防ぎつつも成人男性の肺活量と体格を獲得させること。これにより、女性のような高さでありながら、女性を凌駕する声量や力強い声質、驚異的な持続力のある発声が可能になる。ファリネッリもまた、息継ぎなしで1分間声を出し続けることができたという。
・そうこうしているうちに、オペラの大ブームがやってきて、カストラートは現代でいうポップスター並みの富と名声を得ることになる。カストラートの歌で失神する女性が続出、世界中の女性から熱烈なラブレターをもらう存在となる。しかし、カストラートは結婚を禁止されていたため、「貴族の遊び相手」の域を出ることはできなかった。
・18世紀のカトリックが支配するイタリアにおいては、ホモセクシュアルもまた表向きは禁止されてはいたが、実際には広く黙認されていた。このため、オペラや舞台で成功できなかった数多くのカストラートが、女性のみならず男性相手の売春にも身を染めて生計を立てていた。
低ゴナドトロピン血症のため、カストラートは性欲は極めて低下していたものの、勃起は可能であった。それでいて相手を妊娠させることはない点もまた、裕福な上流階級女性の愛人として人気があった理由である。
・女性も教会で歌うことが可能になった時期を境に、カストラートのブームも消え去った。バチカンで歌った最後のカストラートであるアレッサンドロ・モレスキ(1858-1922)は、現存するカストラートの歌声の唯一の音源を後世に残した人物でもある。


いかがでしょうか?劣悪な環境での手術、低ゴナドトロピン血症、差別、それでも一握りの成功者は大スターとなる…というあたりなど、先週ご紹介した現代のタイにおけるレディボーイないしカトーイ(体と心の性自認が異なり性転換を希望する人、または済ませた人のこと:日本でいうニューハーフ)と呼ばれる人々の人生やその苦悩と大いにオーバーラップしてきます。唯一違いがあるとしたら、手術を受けるのが自らの意思であるか否か、そこだけかもしれません。カトーイとは自らカストラートとなることを積極的に望んだ者、カストラートとは周囲の思惑でカトーイにさせられた者、ということになりましょうか。

もっとも、純粋に医学的観点から見ると、両者を考える上ではもう一つ、「去勢手術を受けるのが思春期の前か後か」という重要なポイントがあります。日本のカルーセル麻紀さんにしろ、はるな愛さんを見ても、その性転換手術は明らかに第二次性徴発現後に行われており、その声の低さがすべてを物語っています。そして、最近ではタイの若いカトーイの間で、「第二次性徴が出てからでは遅すぎる!」という危機感が高じて、ローティーンのうちからいち早くホルモン剤(低用量ピル、抗アンドロゲン製剤など)に手を出すケースが一定数あること、若者にそうさせるロールモデルとなる有名人が存在すること、そしてそれを許す薬事行政の規制の甘さも、先週ご紹介した通りです。前回私は、「一つ間違えば脳血栓や心筋梗塞にも肝不全にもなりかねない薬剤」「半身不随になるかもわからないような抗癌剤」を中学生が自己判断で飲むことに懸念を表しましたが、よく考えてみれば小学生や中学生が抗アンドロゲン製剤と低用量ピルを組み合わせて飲むことは、まさに外科手術によらないカストラートへの道そのものであり、まさにファリネッリへの道ということにハタと気付くのでした。

となると、そのファリネッリがどのような人生を送ったか、そして何か病気を抱えてはいなかったが…そのあたりが気になります。実は2006年にファリネッリの遺骨はボローニャ大学主体の研究班が学術研究目的で墓から取り出し、その結果が2011年に論文発表されています。こちらのリンクから全文が読めます↓。

J,ournal of Anatomy (2011) 219, pp632-637 : Brief Communication “Hyperostosis frontalis interna (HFI) and castration: the case of the famous singer Farinelli (1705-1782)”
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1469-7580.2011.01413.x/full

この論文によるファリネッリという人物に関する記載は、その身体的特徴及び病的変化等、以下の5点に集約され、これらは詰まるところは「男性ホルモン減少」つまり低ゴナドトロピン血症に集約されます。

1. 高身長
尺骨の長さから推定される身長は190cmもあり、当時のイタリア人からみれば異例ともいうべき大男であったことが判明。その根拠は骨端線の残存にある。骨の成長は性ホルモンが急上昇して二次性徴が始まると停止する(骨端線が消える=骨が延びなくなる)が、その性ホルモンの上昇が来ないことにより、骨が伸び続ける期間が延長する。このため、カストラートは概して高身長になる。77歳で死亡したファリネッリの遺骨にまだ骨端線が残っていることは通常では考えられない所見であり、低ゴナドトロピン血症の影響と考えられる。(なお、カストラートは肥満になりやすいという記述がウィキペディアではみられるが、ファリネッリは痩せていたとのこと)
2. 骨粗鬆症
男性ホルモン欠乏の影響で、骨がもろい。ファリネッリの骨は閉経後の女性のようにいずれもスカスカで、腰椎には粉砕骨折の跡もあった。さらには変形性関節症も起こしており、特に脊柱に退行性関節炎の形跡あり。ただし、歯はかなり保たれており虫歯も少なく、これはシンガーとしての口腔ケアのなせる業かもしれないとのこと。
3. アンチイジング
骨は脆かったようだが、65歳の時点で「とても65歳には見えなかった」「虚弱でもなかった」という記載があり、カストラートは若く見えるようである。このことは、タイのカトーイの動画にも出てきた黄体ホルモン注射にて肌ツヤが良くなるアンチエイジング効果の話も連想させる。
4. 性格温厚、やや鬱
牛や馬の去勢でもみられる効果として「性格が穏やかになる」というのがあるが、ファリネッリは「温厚な性格で、やや鬱の傾向あり」との記載あり。特に鬱(メランコリー)は年を追うごとに進行したといい、女性の更年期~閉経後といった低ゴナドトロピン血症の結果との関連もありうる。(もっとも、メランコリックな感情が歌手としてはプラスに働くという説も)
5. 前頭骨内側過骨症(Hyperostosis Frontalis Interna、略してHFI)の存在
HFIはちょうどオデコのあたりの頭蓋骨の裏側(脳と接する内側の骨)が部分的に厚くなる病気。この病気の原因として一般的に挙げられているのはホルモン分泌異常(エストロゲン過剰、生理不順、乳汁分泌)、糖尿病、高血圧、肥満など。HFIはそもそも女性に多い病気であり、男性にHFIがある場合は例外なく男性ホルモン分泌不全(精巣萎縮/女性化/クラインフェルター症候群やカルマン症候群などの男性不妊疾患)が認められる。前立腺癌の治療のために抗男性ホルモン療法を行ったケースにHFIを発症したケースも最近報告された。

この論文内でも紹介されるのですが、5番目に挙げたHFIに肥満と多毛の3徴が揃った疾患として、モルガーニ症候群があります。この疾患を提唱したのはモルガーニ(Giovanni Battista Morgagni、1682-1771)というイタリアのお医者さんで、「病理解剖学の開祖」とも「近代病理学の創始者」とも呼ばれ、モルガーニ洞やらモルガーニ孔にモルガーニ柱といった具合に人体のあちこちにその名を残す、医学生にとっては頭痛のタネ(笑)でもありますが、実はファリネッリと同じボローニャゆかりの人物であるというのは興味深いです。死までの23年をボローニャで過ごしたファリネッリは少なくとも肥満ではなかったようで、モルガーニ症候群の診断基準には当てはまりませんが、彼より23歳年上でボローニャ大学出身のモルガーニ医師がこの疾患を発見した背景には、17~18世紀のカストラート全盛期のイタリアという、低ゴナドトロピン血症の観点からは特異とも特殊とも言える時代が透けて見えてきます。

そういえば、モルガーニ白内障なんてのもありますが、これはカストラートやカトーイに白内障が多いということなのか否か、後々の研究結果が気になるところです。また、モルガーニといえば何といっても心臓領域での功績が有名で、不整脈に起因するめまい・失神・けいれんなどを起こすアダムス・ストークス症候群も、元はこのモルガーニ医師が1761年に初めて記載した疾患とされていますが、ひょっとしてこれってまさか、ファリネッリを始めとする人気カストラートの歌を聞いて続々と失神した女性たちについて記載したものではあるまいかと、今回のファリネッリの論文を読んでいたら妄想が広がってきてしまいました(笑)。

そんなファリネッリの魂の歌を、冒頭に挙げた「カストラート」という映画はこの世に再現してくれています。ストーリーを検証してみると、どうやら史実に基づかないフィクション部分がかなり多いのですが、このヘンデルのオペラ「リナルド」の中の「Laschia Ch’io Pianga」(邦題「私を泣かせて下さい」)というアリアをファリネッリがヘンデルと対決するかのように歌い上げるこのシーンは、この時代のカストラートの苦悩をそのまま代弁しているかのようで、先週のカトーイの歌と同様に心に染みるものがあります。

Farinelli - Lascia Ch’io Pianga (映画の中のワンシーン)
http://www.youtube.com/watch?v=WuSiuMuBLhM
Lascia ch’io pianga mia cruda sorte,
e che sospiri la libertà
.Il duolo infranga queste ritorte
de’ miei martiri sol per pietà.

(おのが残酷な運命を嘆き、自由を渇望することを許して下さい
お願いですから、わが身を繋ぐ苦難の鎖がわが悲しみで解き放たれますように)

日本でもドラマの主題歌や挿入歌として使われたことのある曲ですので、聞き覚えのある方が多いのではないかと思います。カストラートの絶えた今の時代ですが、この動画だけでも十分に往年のファリネッリの圧倒的な迫力を想像させてくれるに余りある出来ばえとなっています。しかもこの歌詞の意味を噛みしめながら見ると、それがファリネッリの境遇やカストラート自体の栄枯盛衰の歴史とあまりにもマッチしすぎているのみならず、現代のカトーイにも通じる「わが身を呪い 自由を求める」という時空を超えた裏メッセージのようにも聞こえてくるのだから、不思議です。もし機会があれば、映画「カストラート」も是非ご覧いただければと思います。

Amazon.jp - カストラート[DVD]
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88-DVD-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%B8%E3%83%8B/dp/B00005ELIT

<参考サイト>

ZDF”Opfer und Verführer…Das Schicksal der Kastraten”(犠牲者と誘惑者…カストラートの宿命)
Part1.
http://www.youtube.com/watch?v=G8qfk9dV0Z8

Part2
http://www.youtube.com/watch?v=LrGhMGzqtN4

Part3
http://www.youtube.com/watch?v=oN2xr3qMN58

Part4
http://www.youtube.com/watch?v=eEYLqoJAb5s

Part5
http://www.youtube.com/watch?v=MXkGFub41fY
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