ドイツ教育事情…ドイツ版「早生まれ」”Kannkind”から容赦なき落第まで
かねてからずっと不思議だったのは、日本ではどうして「早生まれ」は「早生まれ」と呼ばれるのか、ということでした。1月1日から4月1日の間に生まれる「早生まれ」は前の年の4月2日から12月31日の間に生まれた人たち(「遅生まれ」とも呼ばれる)と同級生になる…それが日本における学校入学のルールです。つまり、同じ学年の中では最も遅く生まれた人々が「早生まれ」と呼ばれることになるのですが、その昔ドイツから来たばかりの中学生だった私はこの単語になかなか適応できず、いつも頭が混乱していたことを思い出します。
ちなみに、ドイツには「早生まれ」「遅生まれ」という概念はないものの、”Kannkind””Musskind”という単語が存在します。”kann”は英語のcan、”muss”は英語のmustに相当します。つまり、直訳すればそれぞれ「~できる子」「~しなければならない子」となります。
ここで、ドイツの教育システムにおける小学校入学のルールを見てみましょう。
1)「その年の6月30日時点で満6歳の子供は、その年の8月1日付で小学校に入学する」
入学日か8月1日となっているのですが、この時期は夏休みですので、自分の住む州の夏季休暇が終了してから学校に通い始めます(ドイツは休暇や休日は州によって異なります)。さらに、次のような規定もあります。
2)「ただし、その年の7月1日から12月31日までに満6歳になる予定の子は、特定の条件を満たす場合に限り、その年の8月1日付での小学校入学が許される」
お分かりになりましたでしょうか。上記1)を満たす子が”Musskind”(「(入学)せねばならない子」つまり入学義務を負う子)、2)を満たす子が”Kannkind”(「(入学してもしなくても)どちらでも好きにしてよい子」つまり入学権利を有する子)です。2)の場合の「特定の条件」とは、親の同意や教諭による入学前のテストないし証明書発行のことを指し示す、これらの条件をクリアできた場合、本来ならもう1年待たなければならない入学が前倒しで可能となります。あくまでも本人や親の意思が優先されつつ、同い年の子たちと比べて体格や発育の良い子、知能の高い子などがこのルールの適用により、「ドイツ版早生まれ」とも呼ぶべき”Kannkind”となることができます。
少しわかりにくいため、あえて日本のケースに例えてみましょう。言うなれば、その年の4月2日~6月30日までに満6歳の誕生日を迎える予定の5歳児に、一つ上の学年に入り込むチャンスを与える…というイメージでしょうか。これにより、いわゆる1月~3月(4月1日を含む)に生まれた「日本版早生まれ」は、その学年の中での「最年少軍団」ではなくなるわけです。むしろドイツのこの制度は、日本でいうなら4月~6月生まれに相当する児童が小学校入学時点でほとんど7歳近いということの「時間のロス」を問題視していることがわかります。ドイツにおける初等教育のスタートは平均6.8歳で、これはドイツでは「他国に比べてダントツに遅い」と言われており、その背景にはお隣の国オランダが4歳で小学校入学、さらには四か国語教育を行っていること(卒業時はオランダ語・英語・ドイツ語・フランス語のクワドリンガル!)も視野にあるものと思われます。また、PISAスタディ(OECD生徒の学習到達度調査…世界中の義務教育終了段階の15歳の学生を対象にした学力テスト)におけるドイツの成績低下もかねてからさんざんメディア等で嘆かれており、「初等教育へのアクセス」が遅くなることの児童本人に及ぼす将来的な不利益ひいては国家的損失を恐れているようにも思われます。
もっとも、日本では「早生まれは体格や知能面で不利?」という懸念こそあれども、「4月に生まれた子は教育開始年齢が遅くなって不利?」という議論は聞いたことがありません。かつて私のクラスメートにもそれこそ4月2日生まれの人が何人もいましたが、彼らは学校生活の中で「学年で一番の年寄り」などとからかわれていたり、彼ら自身がそれを自虐ネタとして笑いを取ることこそありましたが、「自分は初等教育のスタートが他人よりも丸一年遅れさせられて損をしている!」などと主張する人は誰ひとりとしていませんでしたし、私も彼らを「可哀そう」と思った記憶も一切ありません。それだけに、逆にこのドイツの”Kannkind”という制度の方にむしろ驚かされます。
ちなみに、ドイツでは実際にどれだけの子が”Kannkind”として前倒し入学を果たしているのでしょうか。該当省庁のオフィシャルサイト(ドイツ連邦家庭省とでも呼ぶのでしょうか?日本でいう文部科学省・厚生労働省にまたがる分野を担当)の中に該当する部分をみつけたので、下記に引用し和訳します(青字):
Daten des Statistischen Bundesamtes belegen, dass Mädchen im Durchschnitt früher eingeschult werden als Jungen und seltener eine Klasse wiederholen. Im Schuljahr 2003/2004 wurden in Deutschland 9,5 Prozent der Mädchen und 6,2 Prozent der Jungen vorzeitig als so genannte "Kannkinder" eingeschult. Im Vergleich zum Vorjahr stieg dieser Anteil um mehr als ein Drittel. Die Tendenz geht sowohl bei Mädchen (2002/03: 6,7 %) als auch bei Jungen (2002/03: 4,3 %) eindeutig zu einer früheren Einschulung. Fristgemäß wurden 85,9 Prozent der Mädchen und 86,1 Prozent der Jungen eingeschult (2002/03 88 % der Mädchen und 87 % der Jungen). Nur 4,1 Prozent der Mädchen, aber 6,9 Prozent der Jungen wurden verspätet eingeschult. Dieser Prozentsatz ist für Jungen (2002/03: 7,6 %) stärker rückläufig als für Mädchen (2002/03: 4,5 %). 2,5 Prozent der Mädchen sowie 3,4 Prozent der Jungen wiederholten im Schuljahr 2003/2004 eine Klasse.
連邦統計局の調査によれば、ドイツでは平均的に女児の方が男児よりも早く入学し、しかも留年しにくいという傾向がみられる。2003/2004年度の場合、ドイツでは女児の9.5%およひ男児の6.2%がいわゆる”Kannkind”(一年前倒しで入学する児童)であり、これは前年比1/3以上の増加である。この前倒し入学は男女ともに明らかな増加傾向を示している(2002/2003年度の場合、女児6.7%、男児4.3%であった)。期限に添って入学した子(筆者注:いわゆる”Musskind”に相当)は女児の85.9%、男児の86.1%であった(2002/2003年度は女児88%、男児87%)。期限より遅れて入学したのは、女児の場合たった4.1%だが、男児では6.9%を占めている。この比率は、男子の方が女子より減少幅が大きい(2002/2003年度は女児4.5%、男児7.6%)。2003/2004年度では、女児の2.5%および男児の3.4%が留年を経験している。
”Musskind”は全体の85%、”Kannkind”(前倒し入学)は全体の一割弱のようです。前倒し入学は男女とも増加傾向にあり、男女比でみると明らかに女児の方が多いというのは、先週もコラムで述べた「女性の早熟性」とも繋がってくる話です(→異例の高さ!”早生まれ率”が示唆するフィギュアスケート選手の資質)。しかし、ここでもう一つ重要なポイントが出てきました。それは、”Kannkind”(入学前倒し)や”Musskind”(期日通りの入学)とは別に言及されていた「期日より遅れての入学」(4-6%)そして「留年」(3%前後)という、日本ではまるで馴染みのない2つの要素です。
中でも、この「小学校でも情け容赦なく留年」こそが、ドイツの初等教育の大いなる特徴でもあります。これに関しては私には個人的な思い出があります。
私は小学校2年生の一学期を日本で終えてから渡独、ドイツの公立小学校(現地校)の2年に編入しました。私は12月生まれですので、その気になれば”Kannkind”として前倒し入学も可能だったのかもしれませんが、ドイツ語が最初は全く出来なかったこともあり、年齢通りの学年に編入しました。しかし、周囲を見渡すと、なんやらオッサン(笑)みたいなデカくて風格のあるクラスメートがちらほら…。同い年にしてはあまりにフケている、こんなオッサンのようなガキは名古屋では見たことない…入学当時の私はその程度にしか考えていませんでしたし、両親も「東洋人に比べて西洋人はフケるのが早いから?」程度の認識でした。
それが、真実は後に判明します。彼らは留年組だったのです。それも、学業の方はお世辞にもはかばかしくなく、それでいて体育の授業になれば彼らはスーパーヒーロー、どのスポーツをしてもいつもエースで大将です。彼らから見れば私たちのような「毛も生えていないクソガキ」(爆笑)など、まさに赤子の手をひねるようなものだったことでしょう。
そして、さらに驚愕の日がやってきます。小学校2年生から小学校3年生に上がる際、通知表を受け取ったその日、同級生の実に1/3が落第してしまったのです!そして、同じくらいの数の「先輩」が上からゴソっと落ちてきました。どうりで、牢名主(笑)みたいな小学生がクラスでデカい顔している訳です。彼らは果たして小学校卒業に何年かかったのでしょうか。
この「小学校でも容赦ない留年」そのものも驚きでしたが、もっと驚いたのがそのことの本人への伝達方法でした。先生から一人一人手渡される通知表の欄に「versetzt」(直訳すれば「ずらしました」の意味)と書いてあれば進級、何も書いていなければ留年なのです。本来、特筆すべき事柄を書くのが通知表ではないのかと思うのですが、ドイツでは「留年」よりも「進級」の方が特筆されるべき話だったようで、普通の感覚と逆ではないのかと思ってしまいます。少なくとも、私は初めてこの「versetzt」を見た瞬間、その意味をまだ知らなかったこともあり、死ぬほど焦りました。と同時に、それまで仲のよかった友達がゴッソリと下の学年に行ってしまったこと、新学期からガラリと変わった顔触れの中での友達づくり等、日本の小学校ではまず考えられないような現実に直面し、果たしてこんな中で自分はやっていけるのだろうかと、大いなるショックに打ちひしがれたものでした。もっとも、私のいたドイツの小学校では、私がいた頃ほどバサバサと留年させることは最近はなくなっている、とも聞いています。
このことを知ると、ドイツがその成績の低迷を嘆くPISAスタディの問題が見えてきます。PISAスタディとはOECD加盟国における義務教育終了段階の15歳3か月から16歳2か月の生徒の学力調査のことですが、そこに学年は考慮されていません。そして、日本の15歳3か月から16歳2か月といえば、どんなに勉強ができようができまいが、たいがいは中学3年生ないし高校1年生であろうこととは大きく異なり、バンバン留年するドイツでは、15歳でも下手したら小学生ということも起こり得るのです。つまり、このスタディは学習到達度を揃えた調査でないため、ドイツに不利なのは当然のことなのです。これについては最近、ドイツでもかなり報道がありました。その新聞報道の中から、ポイントを箇条書きで訳して書き出してみました(引用は青字):
フランクフルター・アルゲマイネ紙(Frankfurter Allgemeine Zeitung) 2013年3月12日
Hilft das Sitzenbleiben in der Schule? (留年は学校生活の役に立つか)
・他国の参加者をみると、その中に占める10年生ひいては11年生(つまり飛び級)の比率が9割という国があったり、半数という国があったりしたのに対し、ドイツはその比率が1/4しかなかった。
・ドイツでは、落第する生徒の多くは男子または移民系。
この数字を見ると、私が体験した「同期が1/3もゴソッと落ちた」というエピソードは、2000年のPISAに参加した世代に関しては少なくとも健在のように思えます。逆にこうしてドイツとの比較でみると、日本における学校制度は子供をキッチリ生年月日で入学年度を区切り、工場の品質管理のようなベルトコンベアーないし護送船団方式で社会に送り出す装置となっている側面も実感させられます。特にそれを感じるのは、この原稿が掲載される今頃熱戦が続いているであろう春の選抜高校野球大会に代表される高校スポーツを見ているときです。
「同じ学年イコール同い年」でなかったら、甲子園の高校野球ははっきり言って成り立たないでしょう。かつての中等野球の発足当初は参加選手の年齢制限は一切なかった(在籍生徒なら出場可能)ものの、大学生を借りてくる(笑)などの”ズル”が幾度かあり、1922年に年令制限等の基本的ルールができました。しかし、今度は第二次世界大戦の終戦直後、満州など外地からの引き上げが遅れたという理由で本来の年齢制限を外れての甲子園出場が可能となったケースがあったり、日系ブラジル人選手のブラジルと日本の学期のズレから選抜大会出場の年齢制限を緩和したケースなど、特例もかなりありました。今は基本的に、甲子園出場には「4月2日現在で満18歳以下のもの」「高校在籍3年以下」(ただし選抜大会は4月に第一学年に入学したものには資格がない)といった制限があり、たとえば学内で1年留年したり入試失敗で1年浪人してから入学したケースでは、高2の夏が最後の夏となるのです(ただし高3春まで参加可能となるケースあり)。
さて、ドイツでは、その学年と年齢がグチャグチャの学校制度の中、スポーツ育成は一体どのようにして行われているのでしょうか。これについては、開催中の甲子園を横目に眺めつつ、来週考察することにしましょう。
<参考サイト>
公益財団法人 日本高等学校野球連盟 平成25年度大会参加者資格規程